Y1
ここで早朝から投下
4月、5年生になってクラス替えがあった。
どんなヤツと一緒になるのか、もう卒業するまでクラス替えはない。
不安でもあったけど、大抵のヤツとは、かつて一度は言葉を交わしたことはある。
みんな地元の連中だから、そこそこ上手くやっていけるだろ。
5月に転校生が来た、仮にソイツをYとしとく。
背丈だけは高かった、多分、学年でも三位には入るんじゃないか
ただ、幅は女子と同じくらいだった。
自己紹介の時も、殆ど何を言っているのか聞こえなっかった。
ヒョロッとした見るからにイジメの対象にになるカンジ。
オレはチビだから前の席だったが、そいつの席はオレの隣になった。
つまり、先生に言わせれば、○○君、よろしく面倒みてやってね、そんなカンジ
何故かっていえば、オレと同じ団地に越してきたから。
5月の終わり、遠足がある。
教室の席とは別に、その時は別の班が組まれる、Yは別の班だった。
いつもノロマで、ドンくさいYの面倒を見ないで済む、正直、ホッとした。
Y2
ところがそのY、遠足の、皆が弁当を食べる場所にはいなっかった。
何故なら、Yはバスの中で寝てしまっていて、その事に気づく者はだれもいなかったんだ。
悪いことに、彼は一番後部座席の端に座っていた。
誰もYがいなかったことに気づく者はいなかった。
先生すらも。バスの運転手も前席のシートが邪魔になって見えなかった。
バスを降りたとき点呼も取ったはずなのに。
今なら考えられない、かなり問題モノだろ、これは。
それだけ、存在感の薄いヤツだったんだ。
結局、Yは運転手と一緒に、バス会社の操車場で発見された、夕方になって。
彼は初めて登校した学校で、誰とも友達になれずに寝て終わった。
翌日の朝礼で、その話を出され、校長にオレ達全員がなじられた。
オレは担任を心の中で詰ると共に、なんとも言えない後味の悪さを感じた。
Y3
7月、夏休みに入ってすぐに、林海学校がある、一泊二日の。
その時はさすがにYはいた、オレと同じ班で、同じ部屋だった。
オレは遠足の事があったから、何くれと無く面倒をみていた。
その行事の期間の内、海でのクラス対抗リレーというものがあった。
クラス内の班の中から、3人の代表を出して競う、というものだった。
班長だったオレは全くのカナヅチだった。
あとに残る5名ほどの内、オレはYをメンバーの中に入れた。
みんなに馴染む調度いい機会だと思ったから。
だけど、泳ぎに全く興味のないオレは、体育の時間にすら彼の泳ぎを見ていなかった。
結果、オレ達のクラスはビリだった、決定的な敗因を招いたのはYだった。
でも、クラスの皆、誰もYを責めたりはしなかった。
オレ、その時9月の新学期からはYと、もっと色んな事を話してみようと思った。
好きなテレビとか、将来、何になりたいとかも。
同じ団地だからいつでも遊びに行けるなと思っていたけど
Yは、8月の間は父親の郷里に遊びに行くのだと言っていた。
Y4
丁度お盆に入った頃だと思う、Yの夢を見た。
Yが夜の海を泳いでいた、こっちに向かって泳いでくる。
クロールとも、平泳ぎとも言えない、変な泳ぎ方だった。
翌朝、ほんとに水泳が大嫌いな俺も、ハンコをもらいにいくためだけに学校のプールに行った。
お盆休みだからね、ほとんど来ている人はいない
オレが一番乗りだった、監視の父兄も校門をくぐったばかりだった。
学校の規則では、更衣室からプールまではサンダルを履かなくてはいけない。
けれどプールまで渡る木でできたスノコに転々と裸足の足跡があった
プールの入り口にシャワーがあり、そこで初めて水に触れる。
だけど、スノコには更衣室からプールに向かって足跡がある。
プールの入り口で入るのをためらっていると、当番の先生がやってきた。
入り口のカギは先生が開けた。
当時、夏休みでも登校日というものがあにった。
大抵は、御盆過ぎ、8月の20辺りではなかったか。
その登校日の日、朝礼台の上で校長がYが亡くなった事を告げた。
教室に入ってから、担任からもう少し詳しく、海で溺れたのだということを知った。
帰り際に、オレは担任から呼ばれ、一冊の封筒を渡された、中入っていたのは、夏休みの宿題
夏休みの感想文だった。
Y5
そこに書かれていたのは、9月のプールでのリレーではもう少し頑張りたいこと
そのために、今、海で泳ぎの練習をしていること
新学期にはも少し皆と話したいこと等が書かれていた。
葬儀は父親の郷里、鳥取で行われたそうだ。
クラスの誰も行ってはいない、日本海に面した景色の良い所だそうだ。
いつか行ってみたいと思う。
全然、怖くもない話だったな。