貧しい漁村では、副業で農業も行っていました。狭い裏山や段丘の上などを開墾して、すこしで
も食料や換金品を得ようと努力しました。その漁村でも、近くにあるまだ未開梱の段丘をひらい
て、畑にしようという話になりました。標高の低い段丘面からは、素焼きの壺や磁器の破片が
たくさん出土していたそうです。そのままでも使えるような完全な素焼きの皿などが出土して、
実際、生活に使っていたようです。今考えると、おそらく歴史時代の遺跡だったのでしょう。
その時開梱したのは、より高いところにある段丘面でした。樹木を切り倒して、草木に火を放ち
ます。地面を掘っていくと、そこからも土器や石器がたくさん発見されました。当時は、埋蔵文
化財に関する保護法もなかったので、そのまま開墾地の外にうちやられたり、家に持ち帰られた
りしました。開梱がすすでいくと、とても大きな土器の破片が密集している場所があり、
その破片を片付けていると、大きな骨が出土しました。別に土器の中に入っていたわけではなく、
その骨を覆うように破片が並べられているように見えたとのこと。その骨は、歯がついた下顎の
骨だったそうです。見慣れている鯨の骨とはちがうことはすぐわかったそうです。ハクジラには
歯はないですし、イルカのようなハクジラの歯は、円錐形で顎の骨は長い。
(つづく)
(つづき)
発見された下顎は、前後に短く、歯は人間の歯のように、犬歯と臼歯が区別されました。犬歯と
思われる歯は、非常に大きかったそうです。前の方の歯はぬけ落ちたのか欠損していました。
それでは、昔の人間のものかというと、その大きさが半端ではない。大人が両手で抱えるほど
の大きさだったそうです。顎が上顎と関節する部分は、折れていて、鋭い刃物のようなもので
付けられた切り傷がその部分の骨の表面に残っていました。そこの土器片を取り除いていくと、
下から丸い砂利石がたくさん出てきましたが、それ以上、骨はでてこなかったそうです。ただ、
1間ほど離れたところから、平たい大きな骨が出てきて、肋骨じゃないかとおもったそうです。
砂利石のなかに、淡く青色に光る石(翡翠か?)があって、それとともに、その骨2点は、
地元の神社の社務所に収められました。地元の神主が、そのような出土品に関心をもっていた
からです。一度、学校の教師に見せましたが、なにやらわからず、海獣(セイウチのような)
の顎の骨ではないか?という意見がでたそうです。
現在、その地域は原野に戻っていますが、端の崖などからは今でも石器や土器がたまにみつかる
そうです。
(おわり)