真玉橋がそのむかしまだ木橋であったころ、
洪水などでたびたび流されていたため、ときの尚貞王は石橋にするよう指令を出した。
が、当時の技術では、大川に石橋を架けるのは、きわめて難工事であった。
その上、悪天候がつづき工事は容易に進行しなかった。
そのときにある神女(ノロ)が、子年生まれの七色元結をした女を人柱にすべし、という神託があったと役人に申し出たのであった。
しかしそんな女は見つからなかった。その結果、その神女自身が橋脚の穴に生き埋めにされ、贄にされたというのである。
沖縄の諺に「物ゆみ者や 馬ぬ さちとゆん」というものがあり、お喋り者は馬の先を歩いて災を招くという意味である